「信仰は盲信だ」と言う人があります。盲信とは、わけも分からず、かたくなに信じ込み、また物事を理論的に考えず、思索しない姿勢といえます。
確かに世の中には非現実的で、ろくに教義も持たないような宗教があります。しかし、「信仰はすべて盲信」とひとからげに考えることは、信仰に対する偏見であり、これも一つの盲信となるのではないで
しょうか。自らの物の見方、考え方に大きな影響を与え、さらには人生の幸・不幸に密接な関係をもつのが宗教です。ここで大切なことは、その宗教が、観念的、独善的であるか、また自己満足的なものかを見極める必要があります。
日蓮大聖人は、「正しい道理」、「根拠となる経典」、「世の現実の姿」の三つを法理の骨格とし、幸・不幸の原因と結果を仏法により究明されました。仏法は宇宙法界の真理を明らかに説くものです。日蓮大聖人は宗教の正邪、浅深を明らかにされ、真実の仏の悟りを説かれました。あなたも、これまでの宗教に対する概念を捨て、確たる法理に裏づけされた仏法の信仰を体験し、幸福の奥行きを広げて頂きたいと願うばかりです。
コメント