信仰することに反対の方へ 「仏法では幸・不幸をどう見るか」

まず何をもって幸・不幸とするかが問題です。およそ不幸の実態をあげれば経済的に貧困であるとか、自身や家族の中に病気があること等をさすと思います。

法華経の信仰をしていても、病気になったり商売がうまくいかなくなることもあるでしょう。これは法華経に説かれる「生・老・病・死」などによる当たり前の姿であり、各人の宿業の差異による姿なのです。

世の中には富と名声に恵まれる人もありますが、一歩その精神面に立ち入れば、不幸を感じている人も多いのです。なぜなら人間は煩悩のかたまりであり、悩みがなくなるはずがないからです。

日蓮大聖人の説く信仰は、御本尊への妙法口唱により、まず己を知り、苦悩を自身が受け入れ、そこから立ち上がる力を頂けます。そして人としての成長と深化がその身に表われます。本当の自分らしさが表われると言っても良いでしょう。要は、幸も不幸も自分が変わらなければ始まらないのです。

仏様は、成仏という境界を目指す妙法の信仰によって、おのずと宿業は変えられ、福運に満ちた生活が生まれると説きます。この信仰に身を置き、ともに喜びの人生となるよう願っています。

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