自分の大切な心を育てよう

人は、自分を褒めてくれる人を喜ぶ。しかし本当は、自分を怒ってくれる人、叱ってくれる人の方が慈悲深い。

今から千年以上前の話である。加賀の国のある人が、自分の子供を比叡山延暦寺に出家させた。月日が経ち、子供は十三歳の時、修行の厳しさに耐えきれず、お寺を抜け出して加賀の家に帰った。これに父はひどく怒り、槻(つき)の木の弓(ゆみ)で、我が子を何度も打ちつけた。「何の遑(いとま)があって家に帰るや。比叡山の修行はお前のため、また多くの人を救うためなり。すぐに戻られよ」と。子供は、無情なるは父、憎きは槻の木の弓、父を無慈悲な親だと胸におさめ修行に勤めた。

この少年は後に比叡山の第十五代座主、延昌(えんしょう)となる。大聖人は延昌について「終には修学増進して自身得脱をきわめ、又人を利益する身となり」(御書 1360頁)と仰せである。延昌はのちに、自身の今があることは、槻の弓をもって我を打った父あっての故と、槻の木で塔婆をつくり、父の追善供養をなしたのであった(同頁)。

勤行と唱題は真実の恩に気づかせてくださる。そして素直な自分となり「徳」を表す。自身の心を育てよう。

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