妄心を払い一人を折伏しよう

孝養とは親を養い孝行することである。仏教では、孝養の最高位を「回向(えこう)」と説く。親が存生であれば息災延命を祈り、他界した親には自身が積む妙法の功徳を廻し向け、成仏の境界に住まわせるのである。誰しもが親をもつ。肝に銘じたいものである。

孝養の鑑として池上宗仲・宗長の兄弟があられる。その父、康光は、極楽寺良観の熱心な信者であり、しかも幕府の作事(土木)奉行という要職にあった。兄の宗仲は父を折伏し、その逆鱗に触れ勘当の身となった。大聖人は兄弟と奥方らに「兄弟抄」を贈られ、「一切はをや(親)に随ふべきにてこそ候へども、仏になる道は随はぬが孝養の本にて候か」(御書983)と真実の孝養を諭された。親に従うことは常道である。しかし仏になる道を歩むとき、親がその道を塞ぐならば、親に従わないことが孝養の手本であると。

その後、折伏は二十余年を要し、父康光はついに法華経に帰依をなした。私たちには妄心(もうしん)という生きる迷いの苦しみ、また正邪の是非に迷う心をもつ。御本尊の功徳は絶対である。妄心を払う真剣な勤行と唱題をなし、報恩行として、まず一人を折伏しよう。

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